http://aum-aleph.g.hatena.ne.jp/matsunaga/20060320
おもしれー

河野さんが犯人に仕立てられたことについては「いや、米軍・公安が真犯人なのだからあれは冤罪だ」という(後から思えば逆向きの)正解にたどり着いていた。

 阪神大震災が起こって日本中がパニックになったが、麻原旧団体代表はなぜか事前に用意していた大量の備蓄食糧とともに数日後に神戸入りし、被災者に配布している。

 サマナが東京に行くときは、通常、同じ方向に行く人たちが連れ立って車で行くのが通例である。できるだけ経費を使わないことで功徳を減らさないというのが大原則だったので、新幹線などというものを使うというのは、通常ならば一般サマナが決して許可されることのない贅沢な話だった。

 一般サマナには新幹線もありえないが、タクシーはもっとありえない。これはいよいよもって大変な状況なのに違いない。

 事件と自分を結びつけるためには、あくまでも論理的に考えて、理屈として納得する以外にない。自分が教団のため、自分自身の功徳のため、自分自身の魂の成長のために努力してやってきたことが教団を支え、その中からサリンなどが作られ、犯行が行われた――とたどらないと、自分と事件は結びつかないのだ。

 被害者への感情移入と同情に基づいて「連帯責任で私も悪うございました」と、何が悪いかわからないがとにかくあのとき教団にいたことが悪かったと頭を下げる道。「あんな教祖が悪い。だまされた。あいつらは許せない」とあしざまに罵って被害者としての立場を強調する道。

犯罪に関わった者=裏ワークの従事者に対する関心が妙に薄いように見える。「知らなかった」とか責任を追及するとか以前に知りたくはないのか?無知でいることは悪だとは考えないのか?